アルトゥロ・ウイの興隆

¥1,760

Akira Ichikawa Collection No.4
ベルトルト・ブレヒト 作 市川 明 訳
新書判/106×173mm/510頁
並製本/本文特色印刷/ドイツ語原文付き/2016年
AD+D+DTP:松本久木
ISBN 978-4-944055-85-2



市川明によるドイツ語圏演劇翻訳シリーズ第4巻。

偶数頁にドイツ語原文を底本に即した形式で掲載し、奇数頁に日本語新訳を同様の形で掲載することで韻文劇の醍醐味である韻文のリズムと発話のリズムを再現した。
作品鑑賞のみならず、日独語比較研究を試みる読者・研究者の便をも図る意欲作であり画期的な一書である。

“  ブレヒトはこのギャング歴史劇に二重の異化を施している。ヒトラーの世界をギャングの世界へ移し替えること、そしてギャングにブランクヴァースという「高尚な様式」で話させ、演じさせることである。
(…)
 第一の異化について言えば、こうした移し替えにブレヒトは苦慮している。観客が登場人物のすべてに、誰がモデルかという詮索をし始めると、作品はナチスの話を象徴化したものにとどまってしまうからだ。確かに、作品では登場人物名が実在の人物に当てはめられる。ギャングはすべてイタリア人名であり、ウイはヒトラー、ジーリはゲーリング、ジボラはゲッベルス、ローマはレームといったふうに。国家権力や産業界の代表は英語風の名前を持っており、ドグズバローやダルフィートはドイツ語との対応から、ヒンデンブルク、ドルフスといった実名を割り出せる。各場の終わりに、世界恐慌から一九三八年のオーストリア併合までのドイツ史における現実の出来事が記され、スクリーンに映し出される。
(…)
 第二の異化は、全編をブランクヴァースで書くことで得られる。ブランクヴァースはシェイクスピアやエリザベス朝演劇で多く用いられ、のちにドイツでもレッシングやゲーテが愛用した詩形である。無韻五詩脚のヤンブス(弱強格)でできており、一行に弱強の組み合わせが五組(または五組+弱格)ある。
(…)
 「政治の演劇化」というヒトラーの陶酔的な演出に、ワーグナーやベートーヴェンの音楽が利用されたことは疑いもない。思想家ベンヤミンの言葉を借りれば、ブレヒトはこれに対して「演劇の政治化」で応えようとした。ヒトラーの演説に狂信的なエールを送る人たちを見ていると、ブレヒトが打ち立てた「感情同化vs異化」という図式の意図するものが透視される。ブレヒトは自己の演劇論を次のように展開する。

人間のもっとも偉大な性質は批評・批判である。ある人間の中に余すところなく感情を同化する者は、その人物に対する批評も、自分自身に対する批評も放棄する者だ。醒めている代わりに夢の中を浮遊している者だ。何かをする代わりに何かをさせられている者だ。したがってファシズムが提供するような演劇的催しは、人間の社会的共同生活のさまざまな問題を処理する鍵を観客に与えるようとする劇場のためのよい実例にはなりえない。

(市川明「解題」より) ”




市川 明|いちかわ・あきら
大阪大学名誉教授。1948年大阪府豊中市生まれ。大阪外国語大学外国語学研究科修士課程修了。1988年大阪外国語大学外国語学部助教授。1996年同大学教授。2007-2013年大阪大学文学研究科教授。専門はドイツ文学・演劇。ブレヒト、ハイナー・ミュラーを中心にドイツ現代演劇を研究。「ブレヒトと音楽」全4巻のうち『ブレヒト 詩とソング』『ブレヒト 音楽と舞台』『ブレヒト テクストと音楽──上演台本集』(いずれも花伝社)を既に刊行。近著に“Verfremdungen”(共著Rombach Verlag, 2013年)、『ワーグナーを旅する──革命と陶酔の彼方へ』(編著、松本工房、2013年)など。近訳に『デュレンマット戯曲集 第2巻、第3巻』(鳥影社、2013年、2015年)など。多くのドイツ演劇を翻訳し、関西で上演し続けている。


ベルトルト・ブレヒト(1898–1956)
ドイツの劇作家、詩人、演出家。アウクスブルク出身。情緒や娯楽性に偏重し、現実から目を背ける従来の「美食的」演劇に反発し、新しい時代の演劇形式として、物ごとを理性的・批判的に見つめる「叙事詩的演劇」を提唱した。
1898年、アウクスブルクで裕福な製紙工場主の息子として生まれる。ミュンヘン大学哲学部に入学後、処女戯曲『バール』(1918)を執筆。ミュンヘンで初演された『夜打つ太鼓』(1919)が成功をおさめ、クライスト賞を受賞。その後次第にマルクス主義への関心を強めるようになる。作曲家クルト・ヴァイルとの共同作業による『三文オペラ』(1928)、また『イエスマンとノーマン』(1929–1930)などの教育劇を発表。ナチスが政権を握ると亡命生活に入り、その中で『第三帝国の恐怖と悲惨』(1937)や『肝っ玉お母とその子どもたち』(1939)『セチュアンの善人』(1939)を執筆し、政治活動にも力を注いだ。終戦後の1948年にドイツへ帰り、ベルリーナー・アンサンブルを設立して演劇の実践に努めた。1956年心筋梗塞のためベルリンで死去。
見慣れたものに対して違和感を抱かせる「異化効果」など、ブレヒト独自の理論や手法はハイナー・ミュラーをはじめ、現在まで多くの演劇人に影響を与え続けている。

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